『音楽劇 マリウス』@大阪松竹座(2018/06/08)
オセローを見に行った記事はすぐに書いたけど、実はその前に桐山照史くんが主演を務めた『音楽劇 マリウス』も見に行っていた。
なんならジャニーズWESTのファンになって最初の現場がこれで、当時の状況(すでに半年の引きこもり)を考えるとかなりでかい出来事だったのだけど、そういうわけで記事に残せるコンディションでもなかったので今日まで放置していた。
終演直後から数日にわけてスマホにメモしていたものを頼りに、今から書いてみようと思う。
マリウスが海に出る前後、一幕終盤以降の感想が主で、ストーリーをご存知の方にしか伝わらない書き方かもしれない。
「俺のこと好きじゃないのか!」
好きに決まってんだろ だから言ってんだよバカあああこういう展開好き
『音楽劇 マリウス』に関するメモはここから始まっている。
たぶん、船に乗るかどうかまだ決めあぐねているマリウスを、たとえ突き放すような形になってでも送り出したかったファニーが、そんな彼に浴びせられたセリフだったと思う。
マリウスの夢を知っているからこそ、心を鬼にしてマリウスを突き放したというのは明々白々で、それを理解していないのはあの空間においてマリウスだけである。
”優しさ(安易な言葉で恥ずかしい)が作用しすぎて互いに悔いが残る展開”というのは、いつでも胸をかき乱してくるものだ。
さらにその乱れた心に追い打ちをかけたのが、以下の要素だったと思う。
盛大な音楽だからこそ悲壮感が煽られる感が楽しい
神経を逆なでされている感覚
強い言葉で自分を突き放したファニーに怒り、船に乗り込んでしまったマリウス。客席の自分はすでにファニーの悲壮な表情に釘付けで、こちらも胸が張り裂けそうな感覚に顔は相当歪んでいた。
しかし聞こえてくるのは、”祝福”を思わせる、船を見送る人々の歓声と盛大な音楽。”そうでない”ことで、ファニーの悲壮感はより浮き彫りになってしまい、やがて彼女はその場に倒れ込んでしまう。
これが一幕の最後のシーンなのだから、酷く煽られた。二幕が始まるまでロビーでずっと、分からず屋のマリウスへの怒りと格闘していた。
ファニーはめっちゃ考えてるよ。女手一つで育ててくれた母になじられても、それは理由があるんだと言ってた
じゃあなんでファニーはそれ以前にマリウスと関係を持ってしまったのか。
それを以下のように考えていたっぽい。
手に入りかけたらアッ違うって思うんだよな。手に入れるまで躍起になってるときは相手の気持ちを尊重することを少し忘れてしまうけれど、振り向いてくれたときにもう一度相手の目を見て、彼の目には何が映ってるか確認して、そこで私が100%じゃないってなる。
要は、恋が愛に変わる瞬間があったんだと言いたかったのだろう。
マリウスがファニーに夢中になるまで、ファニーはわりと自分本位な姿勢で彼を口説いていたように思う(具体的な文言はもう忘れてしまったけど)。
しかし実際にマリウスが振り向いてくれて、ファニーとの人生を意識し始めたころに、彼女の中でこれが本当にマリウスの人生にとって正しい選択なのか、疑いが出現する。
一方的な恋から、相互的な愛になった途端、彼女は迷ってしまったのだ。
しかし自分が100%でない=彼にとって最善でない、と考えてしまうところから推測するに、やはりファニーは少々幼かった。
もうきっとマリウスの中ではファニーとの人生に天秤が傾いていたけれど、彼の中に少しでも妥協があるのなら今の選択は彼にとって正しくないとファニーは思ってしまう。間違いとか正解とかないんだけどね。最新の選択が最高だから
船に乗り込まなければならない直前、マリウスの心はすでに”ファニーが引き止めるだけ”になっていたように思う。そうしてマリウスはそうされることを望んでいた。
しかし今になって思うのは、それは一つの責任転嫁である。無意識で「ファニーが止めたから海に出なかった」「ファニーのために夢を諦めた」そんな事実を作りたかったのではないだろうか。マリウス自らでは夢を諦めることも、ファニーとの可能性を捨てることもできなかったのだ、きっと。
そう思うと、優柔不断なマリウスと気丈で決断力のあるファニーはベストカップルであり、しかしゆえにこの運命において共に生きることはありえなかったのだと、なかなか腑に落ちた。
小さい国のわずかな地域で噂好きの人たちに囲まれて過ごすのは、思っているより窮屈なのかもしれない。彼は苦しい決断をしたけれど、きっと外に出て色んな人に出会う。きっと幸せに死ぬ。
上記のことと同時に、マリウスがあの小さな町で生涯を終えることはありえないとどこかで思っていた。けしてあの国で生きる人のことを悪く言いたいわけではない。ただ、彼には彼に合った生き方を切り開いていく必要があったのだろう、そういう意味である。
だから、マリウスの父であるセザールが、以下のように言っていたとき、また心が乱れた。
「俺がもっとあれこれしてやれてたらこんなことには」
滅茶滅茶愛情注いでるじゃん!不器用なだけでね!セザールがそんなこと思う必要性はない でもこれが親心か けれど子はわからない 親の心子知らず
マリウスの父、セザールは絵に描いたように不器用で、あと結構な頑固者だった。マルセイユのあの小さな港町で生きてきたセザールは、マリウスもまたそうであれば、彼が幸せな生涯を送るに違いないと思っていたらしい。
ただマリウスが実際に海へ出ていってしまったあと、セザールの怒りを最も掻き立てたのは、息子が自分の言葉を聞き入れなかったことではなく、ファニーが身重であることも知らずに彼女を置いていったことだった。
「幸せにやってます」
手紙の優しい嘘と船の上で歌う本音
船上のマリウスからの手紙に書かれた「幸せにやってます」という言葉に、セザールはさらに怒った。ファニーにこんな思いをさせて、自分は外の世界でのうのうと生きているなんて、許せないと。
ただ客席の我々は知っていた。実際のマリウスは船上からファニーへ募る思いを懇懇と歌い上げていて、そちらが彼の本心であると。
きっとマリウスなりに、もう自分のことは心配しなくていい、あなたたちはあなたたちの人生を生きてと伝えたくて、そんな嘘をついたのかもしれない。
ファニーはたぶん分かってるけど、それを真に受けることがお互いに幸せだとわかってる
自分のために怒り狂ってくれるセザールを、マリウスが幸せならいいのよと宥めるファニーは、すでにマリウスの手紙が優しい嘘であると気づいているように思われた。
しかしセザールの、人を思うがゆえの怒りをないがしろにすることもできず、彼女は手紙の内容を言葉のまま受け入れているかのような態度でありつづけた。
じゃあなんで「忘れないで」って
マルセイユにあなたを思ってる女がいるって忘れないでって
しばらくしてマルセイユに再び姿を現したマリウスだが、ファニーにはすでに家庭があった。その子どもがマリウスとの子であっても、マリウスがファニーとその子を連れてマルセイユを再び出ていくことは許されない。彼はもう取り返すことができない。
その事実に太刀打ちできないと悟ったマリウスは、後ろ髪を引かれながらもファニーの前から立ち去る。そんなマリウスにファニーは最後「マルセイユにあなたを思ってる女がいるって、忘れないで」と声をかけた。
…当初、そのセリフを脳で処理しきれなくて「(なんでそんなこと言うの?!)」とひたすら驚いた。マリウスに夢を追いかけさせるため、彼をマルセイユに引き止めてしまいたい自分を押し殺してずっと貫いてきたのに、最後の最後で!なんで!!
でも今このメモを見たときにやっと気づいた。きっとファニーはマリウスに「あなたがどこに行っても、あなたはひとりじゃない」と言いたかったのだと。
たとえマリウスが知らない土地で孤独を感じて、過去を取り戻したいと思うことがあっても、それに飲み込まれずまた次に進めるように。
引き止めるためでなく、送り出し、そのあとも彼が歩み続けられるように、ファニーはあえてその言葉でエールを送ったのだ。
冒頭とラストにマルセイユの人たちが歌う歌
そう、マリウスがそれで幸せを感じて死んでいける人生観だったならよかったのにね そうじゃないんだよ彼は
一幕の最後同様、マルセイユの人々の歌は再び”そうでない”ことを浮き彫りにしてきた。
小さな港町で顔見知りの人たちと過ごし、笑い、死んでゆく。それも一つの選択である。
しかし広い世界に夢を抱くマリウスにとっては少々息苦しかったはず。そう思うと、一見切ない選択肢しか残っていないように思えたこの物語のラストも、実はマリウスにとって(自覚があろうとなかろうと)必然だったのだろうと、こちらは消化することができた。
さいごのふらめんこにかれの気持ちがぶつけられていると思った フラメンコは怒りのダンス 怒りとは違うけど、それに似た何かが内側でぐるぐる回る
稽古中の照史くんのブログに”フラメンコは怒りのダンス”と書かれていた気がする。
それを読んでから二度目の観劇に行ったとき、カーテンコールで激しいフラメンコを踊るマリウスを見て「ああ、これが彼の怒りか」と思ったのが印象的だ。
自分だけが何も知らずに海へ出て、恥を忍んで帰ってきたらもう環境はすっかり変わっていて、様々な事実(ファニーが自分の子を産んだこと、しかしすでに配偶者は別にいること、自分がそれらを手に入れることはできないこと)を目の当たりにして、もはやまた船に乗って海へ出るしか選択肢が残っていない。
これらについてマリウスが抱く感情すべてが”怒り”だと言ってしまえば、この物語はそれきりになってしまう。実際は、ファニーが望んだようにマリウスなりに次へ歩を進めるだろう。
しかしあの瞬間彼の中にあった、”わずかで強烈な”行き場のない気持ちが、あのフラメンコにはぶつけられていたのではないかと、今でも信じている。
あとは上記よりさらにざっくりとしたメモたち
衝撃的な事件が起こったわけじゃない、それも変化の瞬間は描かれていない けれどファニーが心を変えて決断したことがぐんと伝わってくる
瀧本美織さんの舞台出演歴を見て驚いた。たった数年である。なにせ声が美しく通るうえ、歌がきれい。
(プロの女優さんにこんな評価をするなんて失礼かもしれないが)あの大きな舞台でありながら、ファニーの内面の変化について、衝動的で情動的な演出がなかったのに、三階席にいても確実に理解させられた。
私だって乳バンドくらいしてるわよ てセリフがなんか好きだった
あと汗かいたからって着替えに帰るのがなんかみずみずしくてエロいなと思った
実際当時のマルセイユの女性がこんなふうに開けっぴろげに話してくれる感じだったのかは、ちょっとわからないけれど。
パニス最初ちょっと苦手なくらいだったけど、すごいいい人で、つまり誰一人嫌いになることができない舞台だった。なんならマリウスに一番腹立ってる。
同事務所の同世代でこの役をできるのは、彼だけなのかもしれないと、ファンながらに思う
ただめちゃくちゃセックスしたくなるな 愛する人とな
…本編を語る上で必要かと言われたらあやしいけど、素直でよろしいと今の私が判断したので記載しておく。
そのあと、メモはこれで終わっていた。
こんな気持ちにさせてくれる生の舞台をもっと見たい
社会復帰したい
なんでまた身の上話をしてしまうのかというと、オセロー同様、この舞台も当初は今井翼さんが出演する予定だったからだと思う。
翼くんに自分を重ねるのはこの上なくおこがましいことだとわかっているけれど、やはり完全な他人事として処理することはできない。
公演が終わってからも、照史くんがこの舞台について語る際、必ず翼くんの名前を入れていたこと、とても印象に残っている。
一年以上経ってやっと向き合って書けた。
読んでくださった人、ありがとうございます。
またこんな体験ができる舞台があればいいなと思います。